趣味とか呟きとか

趣味ブログ。端的に言うと自己顕示欲の置き場所。絵を上げたり、本の感想書いたり、長い呟きとか。

2018/1/21

明けましておめでとうございます。(もう明けてからだいぶたってるけれど一応。)

テスト期間に入っており、ゼミの課題もきつく、そろそろ自分の存在意義、今までの人生の意味などを問い始めた。

今の要望はとりあえずサナトリウムに収容されて、人生の心配事や自分の無力さを忘れ、美人で巨乳のお姉さんにやさしく接してもらい、日の入る白くて清潔な部屋で静かに過ごしたい。

サナトリウムの外には広い芝生の場所があって、奥にはハウルの動く城ハウルカルシファーの思い出に出てきたような水車のある洋風の小さい家があって、そこにはかわいくて小さい女の子とおじいさんが住んでおり、その子と毎日追いかけっことかかくれんぼをして過ごしたい。

アルプスの少女ハイジじみてきた。)

 

やすらぎが欲しい。というか、やすらぎを見つけるのが上手くなりたい。

やすらぎの見つけ方はどこで身につけられるんだ、誰か教えてくれ。

こんな感じだから宗教の重要性がよくわかってきた。

自分より大きな存在を信じて身をゆだねるというのは非常に安定するだろう。そこに色々話せるコミュニティができれば、なおさらそれは楽になるんだろう。

 

ヴァイオレットエヴァーガーデンを見た。

とてもよかった。

前々から京アニがあまりにもそれを推していて(全世界同時放映だのなんだの)、それがいちアニメに対する姿勢として不適切だと思っていたから、これは京アニ大賞のプロモで、ここで大賞が取れればこんだけ力入れてアニメ作るぞとか、安い脚本料でいいのを作りたいのに応募作品が少なくなってきたから増やしたいがためにやってるのだろうとか勝手に考えてたから、穿った見方で見たけど面白かった。

(実際応募作品が減ってるのかどうかちょっとだけ調べたけどよくわかんなかった。)

あの主人公の少佐に対する一途さというかひたむきさ(少佐のことしか見えていない感じ)を見るたびに事実(実際は死んでないかもだけど)を思い出して本当に、あはれなり…という感じになって顔がゆがんでしまった。

あと主人公がセイバーっぽかったのも個人的にポイントが高かったです。

(セイバーかわいいよねセイバー)

あとは中佐がヴァイオレットを好きになってヴァイオレットとカトレアの関係が悪くなったりしないでほしいです。

(カトレアはヴァイオレットのよき理解者なので)

話まとまらなかったけどまあいいや。

2017/11/16

日記を書く頻度が高くなっていると感じたため、タイトルを年月日式にした。

いつからかははっきりとはしないのだけど、人生が辛かったので思考回路を変えてしまおうという試みを始めて、最近効果が出てきた気がする。

その結果、現在以前の思考回路と最近の思考回路が競合しているような現象を体験していて、それが面白いので日記を書いてみた。

自分は失敗というか恥をかいたと思うと、ずっとネガティブな気持ちになってしまい、死にたいなどの考えで頭が占有されてしまったのだが、現在それを考える意味がないのではないか(それで失敗した環境や集団は変わらず、自分の時間やメンタルなどのリソースを大量に消費しているに過ぎないため)という考えがある。

このように別々の思考回路があり、なんとなく恥をかいた、失敗したと思ったことがあるとどうなるかというと唐突にネガティブな気持ちに占有され、

死にたい!俺はもうだめだ!

と叫び、そのあと、

なぜ明らかにマイナスであることを僕はしているんだ?仕事をやったり、カバーを考えた方がずっと有益では?

という疑問が生まれる。

この現象が面白い。

なんだろう、単に思考回路の競合性の問題だと思っていたが、これは思考回路の優位性が変わる境目の状態なのか、それとも何かの精神疾患の前兆もしくはもうすでに罹っているのだろうか、それとも別の何かなんだろうか。

精神疾患だとちょっと治療が必要になるけど、思考回路の競合性の問題ならこのまま現在の思考が優位になってくれればうれしい。

日記

昨日今日と休日だった。

やはり休日はいい、素晴らしい制度だ。

前回の日記で休日は閉塞感が強くなると書いたが、あれはあの後に避けられない面倒なイベントがあったからだと気がついた。

昨日やったことといえば課題、友達と飯に行くくらいだし、今日は買い物に行って課題をやっていたぐらいだけど、好きなだけ寝ることができて人の多い空間に束縛されることもコミュニケーションを無理にとる必要もないのはとても安まる。

 

今度他大の友達が学祭で朝から劇をやるということなので友達と観に行くことにした。

ただ、そうすると課題をする時間が結構減るのでそれでも大丈夫なよう、自分のレポートの締め切りとか講義の時間とかをエクセルにまとめて予定を立ててみた。

まとめていて気付いたんだけれど、可視化すると現状を客観的に見ることが出来そうだ。

まあどの程度客観的に見れているかはわからないが、とりあえず一歩引いた視点から現状を見ることができる。

その結果、クソゲーだなという感想は出てきた。

お金などの資源系のものも可視化したら無駄を減らせそうだと思った。

 

 

人間社会は基本的にサバンナと変わらないと最近特にそう思う。

強いものが利益を持っていき、弱いものは損をする。

強くなるためには全体の濃度勾配を自分が高くなるように調整しなければならないので、他人の取り分を減らさなければならない。

そのためうまくマウンティングしたり、けなしたりすることで弱い人の価値をさらに下げてその人の自由にできる領域を狭めて自分のものにするというのがあるんだけど、これは人間に元来備わっているものらしく、サークルなどの閉鎖空間ではよく起こるし、今日は交差点で5歳くらいの子が妹とみられる子に対して行っていた。

自分はそういうことが下手だ。

ただこの戦略が強いのは本当にクソゲーだと思うので、早くこのクソゲーから解放されたい。

 

 

 

ブログを書いていると叔母の訃報が母から届いた。

亡くなったということがどういうことなのかとてもとらえがたい。

適切な反応は何だろうかと考えているが思いつかない。

フィクションではわーっと泣いたり、急いで帰郷して、親族と悲しむ。などがあるが現実でフィクションみたいな行動をとるのは間違いだということが最近分かってきたので、たぶん間違っていると思う。

適切な反応は思いつかないが、ただ身近な人が亡くなったということがなんとなく重苦しさというか感情にやるせなさとか取り返しのつかなさみたいなフィルターをかけたような状態ではある。

 

叔母の訃報は昨日、母から今日は山場だと伝えられていたので藪から棒ではなかった。

フィクションの山場は大抵越えられるもので、越えた後は記憶喪失などの不幸でリハビリを行うか、全快のどちらかだからまあ大丈夫かなどと思っていたが、実際は越えられずそのまま亡くなってしまった。

やっぱり山場は越えがたいものなんだと実感している。

 

叔母は僕が小さいときに会ったのと中学生くらいで祖母の家にいるときに会ったくらいだと思う。

祖母の家には昔からよく行っており、帰省もする。

一方、叔母の家は祖母の家ととても近いのに全然行っていないし叔母にも会っていない。

祖母の家に叔母が来ることもあったが、その時はなんだかんだ自分の中で理由をつけて会わなかったし、祖母も無理に会えとは言わなかった。

僕が生まれたときは結構お世話になったらしいけどその記憶はない。

本当に僕は親不孝というか恩知らずだな。

 

祖母も胃に癌が見つかったらしく、近々胃を切るようだ。

祖母とは家族で一番密接にかかわっているので祖母の訃報が届いたら僕はたぶんしばらく立ち直れないと思う。

 

 

全体的に全く文がまとまっていないし論理性もなくて申し訳なさがある。

とどのつまり言いたいことは今大変で本当に人生はクソゲーだ。ということだ。

まどマギ映画でほむらが魔女化するシーンの流れや考察の走り書き

ほむらが魔女化するときのシーンが個人的にとてもエモかったので流れや考察を走り書きしてみた。

youtu.be

(ほむらの魔女の形成が終わった瞬間、場面はほむらの一番幸せな記憶になる。)

 

ほむらは、あっ...!と小さな声を漏らし、寒気を覚え、あたりを見回しそれにおびえる。
(ここから幸せな記憶が絶望に浸食される。)

 

隣にいる大好きな人間である、まどかが急に立ち上がり、こちらを見てにやりとし、椅子からおちる。
(唯一の心の支えがいなくなるという意味?)

 

それだけは絶対阻止しようとほむらは記憶の中の自分を追い越して必死に助けようとする。

(ここで冒頭のほむらが魔法少女になるときの演出→この演出は普通の子から何かに変わるときの演出ではないだろうか。)
(ここのまどかには人間らしさがない。)
(これは大好きな人間に見捨てられる、いなくなってしまうという絶望?)

 

しかしまどかはほむらの手のほんの少し先で壊れてしまう。
(周りにはシロツメクサが咲いている→花言葉は私を思って、約束、復讐など。)

 

それに絶望しているほむらを使い魔であるほむら(昔まどかを絶対助けると誓ったほむら)が囲んでじっと見ている。
(自分が殺した、あるいは助けられなかったと自分を責める気持ちだと思われる。)

 

その自分をほむらは泣きながら何度も叩き潰す。
(どうして救えなかったのか。)

 

それを(その思い出を)魔女化したほむらが大切そうに、残念そうに悲しそうに包む。

大写しから小さく映り、それ以外何も持たず、周りに絶望しかない高地で一人じっとたたずむ。

空をあおぐ。
すべてがなくなってしまった(うつ状態っぽい)ように力なくただ空を見上げる。

そして魔女化したほむらは高地から絶望の世界へ、落ちてしまう。

(セリフ→これが、魔女。私の感情が、追いかけてくる。)


(ここからは情緒的な演出ではあるが圧倒やきれいさ、美しさの表現がメインだと思われる。)

 

巨大化した魔女が画面外から現れる。
場面変わり、街にかかる橋の上の魔女の卵。

(セリフ→輝きと後悔だけしか、思い出せない。)

 

卵からあふれ出る血から生まれるカラス型の大量の使い魔。
座っていたほむら型の兵隊が次々と立ち上がり、空には亀裂が生まれ、そこから血があふれ出る。
巨大なコロシアムのような場所を破壊し、手錠のついた魔女が現れる
魔女は空を仰いだかと思うと、あごから上が切れて下に落ちてしまう。
(合わせる顔がないという意味?)

クローゼットに押し込まれたまどかの顔が映り、クローゼットの扉は閉まり、下からシャボン玉が上がってくる。
(セリフ→ああこれが私の、絶望。)

凱旋する大量の兵隊、落ちてくる顔、それを(思いっきり)踏みつぶして凱旋する魔女。
(流れが変わったところからここらへんまでは取り返しのつかなさの表現?)

 

(ここから兵隊と魔女の様子、流れのようなものの解説部分か?)
正面を向く大量の兵隊。
それに引っ張られる魔女。
(魔女についている蓄音機を通してのアナウンス

→まどか、こんなところまで、迎えに来てくれてありがとう。)

 

シーンが変わり、離れた場所にいる泣いたトカゲがアップ。

生の声で、
最後に、お別れをいえなくて、ごめんね。
こう述べるとトカゲはべしゃりと潰れて死んでしまう。
(これはほむらの魔女になっていない最後の部分では?)

後には魔女だけが残る。

 

魔女世界の背景のテーマはほむらのキーポイントである時間(時計)とその歯車。

日記

荒廃した世界をあてどもなく歩いている気分だ。

物質的な問題はない、ただ不安や焦りや倦怠感がまぜこぜになったような感情と閉塞感がある。

目につく、消化できる大抵のコンテンツでは楽しめなくなってしまったし、楽しめるコンテンツでも楽しさはすぐ消えてしまう。

周りには大量の課題とその締め切り、人間関係が配置されていて、歩くたびにそれらとエンカウントしてしまう。

自分だけそれらの量が多いとは思わないし、周りの人はそれらをうまくさばけてるんだろうけど、なんというか彼らはこういう感情とはあまりかかわりがないんじゃないかとは(実際そういうわけではないだろうけれども)思ってしまう。

 

昨日まではとにかく休みたいと思っていたが、いざ休みになってみるとより閉塞感が強くなった。

なぜならばこの後に待っている大量の課題や人間関係などがいやでも認識されるからだ。

 

長期休暇が欲しいが自分では作れないし過去には戻れないので冬休みや春休みまで耐え忍ぶしかない。

しかしそれは院試や卒論などの非常に大きな問題がそれだけ近づいてくるということでそれはそれでつらい。

本格的に研究が始まれば長期休暇という概念はなくなるだろう。

今は長期休暇が(大袈裟な表現だけど)希望なんだけど、これがなくなるならば普通の休日や一日の中に安らぎを見つけなければならない。

雑記

いつからなのか判然としないのだけれど、感想をかけとか思ったことは?などという質問にうまく答えられなくなってしまった。

たぶん小学校から中学校くらいまでは求められているものが明白でそれを口にすることに何のためらいもなかったんだけど、さすがに歳を重ねると発表をほめるとかものの考え方について考えさせられたとかだけでは通らなくなってくるし、思ってもいないことを書いているこちらも苦痛になってくる。

そうすると別の何かを書く必要が出てくるんだけど、それが全く思いつかない。

この発表は面白かった。この発表は挙げる例は多いが結局何を伝えたいのか釈然としない、価値を見出せない。この発表はこの点は面白かった。ここが興味深かった。

別にそれくらいの感想しか出てこない。

周りを見ると小さい感想カードに小さな文字でびっしり書いている人が多い。

よくそんなに出てくるな。と思う。

みんな必要なことを理解し、それをちゃんと出力できている。

 僕はこの大学のレベルですらそれができない人間なのかという気持ちになる。

 

最近同じ研究室の一人と話す機会があった。

彼には破壊衝動があるらしい。

彼によると、ものを壊すのがとても気持ちいいらしく、一週間に一度くらいの頻度で紙を引き裂いたり、めちゃくちゃにしているらしい。

また、破壊衝動の周期はだんだんと短くなっているらしく、人のいるところでこれが現れるようになるのがとても怖いらしい。

この自白に対して僕はどう返したらいいかわからなかったので一言、なるほど。と返した。

 

彼は非常に理屈っぽく、抑うつ的で僕に少し似ているところがある。

ただこういう人にありがちなこととして、最初はとても仲良くなるんだけど、結局うまくいかないというのがある。

これには二つほどパターンがあって、一つは僕のことを見限り、ちゃっかりワイワイグループにすっと溶け込むパターン。

もう一つは、僕の話を全く聞かなくなる、いちいち突っかかってくるパターン。

たぶん彼らは僕を反面教師として自分の欠点を発見し、それを克服できたから上記のような反応を起こすのだと思う。

ただ、確かに僕の行動のどこかがおかしいというのはこれまでの人生の中でうまくいっていないことからわかるんだけれども、これがどこなのかというのが全く分からない(もしくは薄々気づいててそれをあえて認識していないだけかもしれない)ので対策しようがないな。

 

(x+1)^{100}を展開した

はい。

このようなツイートがあったのでpythonでやってみた。

f:id:naturalaccident:20171013015249p:plain

ここで使用したのはsympyというモジュール。

エンター押した瞬間に答えがバーっと出てきてコンピュータってやっぱすげーってなった。

おしまい。