趣味とか呟きとか

趣味ブログ。端的に言うと自己顕示欲の置き場所。絵を上げたり、本の感想書いたり、長い呟きとか。

パーティー

 僕の研究室では二か月に一回ほどの頻度でパーティーが開かれる。(研究室の人間はみんな社交的な猛者ばかりなのだ)研究室の下っ端である四年生はこの準備やパーティー中の雑用(お酒が少ない人に注ぎに行くとかゴミを片付けるとか写真を撮るとか)をこなすわけである。僕は今回のパーティーの事前準備では意気揚々と、俺がこの世代を担う雑用係だと言わんばかりに同期に指示を出し、机のセッティングを行い、他の人の現状を聞き、聞かれたら答え、足りないものがあれば取りに行くなど素晴らしい働きぶりを見せた。そうすることで自分がこの研究室に必要な人材でなおかつそれなりにできる側の人間だということを信じたかったし、来年入ってくる後輩にも尊敬される人間となって円滑なコミュニケーションをとれる人間になりたかったからだ。以上の自分のポジションに対する願望を果たすべく、僕は行動した。

 しかしそれができたのはパーティーが始まる前までの話だった。パーティーが始まると(当然だが)知らない人が会場にたくさん入ってきた。自分はほとんどない、すべき準備を探し、それをしつつ、置いてある料理を食べた。

「これおいしいね」

食べていると教授らしき人が僕に話しかけてきた。

「とてもおいしいですね、○○っていうのは初めてですがおいしいんですね」

「そうだねぇ、△△(何かの話)」

「本当に意外でした。そういえばこの研究室のOBの方ですか」

「いや、僕は経済学の方の教授だ。OBではないよ」

意外な答えに返す言葉が見つからなかった。

「あっ、あっ・・・・・・そうでしたか。あー」

「この前のここの先生と初めて飲みに行ってね、その時に呼ばれたんだ」

「あー、そういうことでしたか。へぇー」

 今思えばどんなことをやっておられるんですかとか理系の方の先生とはよく飲みに行ったりされるんですかなどいくらでも話の広げようがあったが、その時はここからどう会話を続けてよいものかわからず、結局気まずい雰囲気になってしまった。僕は会話や雑談が本当に苦手なのだ。研究内容のことや何かの原理についての説明、その人の考え方などならば比較的ましで、それなりに返答できるがそれは軽い会話で取り扱う内容ではないと思う。(僕が好きなアニメや映画でも比較的返せると思う)しかし雑談は何を話せば、何を聞けばよいのか全く分からない。盛り上げ方、聞くべきこと、自分が話すこと、何もわからないのだ。そもそも僕は軽い会話で使えるような話やテンプレのストックを全く持ち合わせていない。

 こんな感じなのでパーティーで僕は一人になってしまうし、人の輪に入って会話を楽しむこともできず、下級生がいても欲しい飲み物は何かを聞くぐらいしかできなくなってしまう。僕にとって先輩の理想像は、会話に積極的に参加し、下級生を会話に参加させ、盛り上げ、色々な人との関係を築き上げるというものだが、この歳になってもそれとは遠く離れてしまっている自分が恥ずかしかった。

 ほかの同期はそんなことが全く無いようで、ある同期は下級生と積極的に会話しているし、またある同期は留学生や教授達と会話を弾ませ、ある同期は「はいチーズ!」などと言って沢山の人たちの写真を撮っている。つまり彼らは僕の思い描く理想的な先輩像だった。彼ら彼女らのおかげで研究室の評判は上がるだろうし、研究室活動として良い写真を沢山広報にアピールできるだろう。彼らの研究室における信頼はどんどん上がっていくだろう。飲み物コーナーに突っ立ってる僕に話しかけてくる、充実している様子の同期を見るのが辛かった。

 自分はここまで同期との差が開いていたのかと思った。研究室に貢献できず、みんなが出来ていることをできず、自分はただの出来ないやつに過ぎないのだ。パーティーが終わるまでそういう思いがずっと自分を支配していて、その場にいるのが精一杯だった。

2018/6/24

 今日は虚無にとらわれてしまった。今回は来週中に締め切りの仕事があって、それを今日からやるべきか否か、やるとしたら何から始めるか、それは今考えている指針でうまくいくのか、そもそも間に合うのか、他のこともやるべきだしな、めっちゃゲームしたいなどが衝突した状態になったことが原因で虚無になっていた。結果、今日はやるべきことを一切やらず、気づいたら部屋の掃除をして、ゲームをしていた。

 こういう感じで虚無になると自己否定が生まれ、周りの人間との関係を憂い(主に自分は嫌われている、切り捨てられるだろうなど)、自分の過去の後悔が始まり、虚無になりというネガティブなPPPPサイクルに入ってしまう。(PDCAサイクルにはDo, Check, Action が含まれるがこのサイクルにはPlan しかない)やるべきことの構想を練るが、このサイクルによってメンタルを削られており、やる気力もわかない。気持ちの整理のため、とりあえずここに色々書いている。

 ここに書くまでは、この虚無感が自分の存在価値の無さから来るものだと思っており、これをなくすにはやはり常に他人からの承認が必要なのだろうなと考えていた。掘り下げると、この虚無感をなくすには、自分が何かを与えたり与えられたりすることで自分の存在価値を再確認させてくれる近しい存在が人生には必要なんだろうみたいなことを考えており、そうするとやっぱ彼氏彼女みたいな関係ってそれを効率よく満たせるからやっぱあった方がいいんだな、普通の人ってそういうこともちゃんとわかってるんだな、すげーなというのを今回の結論にしようと思っていた。

 しかし、今回の問題の順を追ってみると結局根本の問題は、締め切りの近い仕事がうまくいくかどうかっていうだけの話だった。あほらしい。なんというかこれも認知のゆがみというか現実逃避の一種という感じだ。(自分の逃げ道のためにこれは認知のゆがみということにしておく)

 結論としてはもう遅いので布団とシーツが乾くまでちょっと構想を練ったら寝て、明日から自分に頑張ってもらいます。

シークレットシークレット

 Perfumeのシークレットシークレットという曲にはまっているんだけど、最初に出てくる「本当の君を知りたいの」という歌詞が気になった。本当の君とは一体何なのか、これについて考えてみた。

 人間を規定するものはざっくり分けて肩書き、仕草、取った行動、出した結果だと思われる。ここでは行動に焦点を当ててみる。なぜならば歌詞を見る限り、その人の肩書きや出した結果を知りたいという感じではないからだ。(肩書きを知りたかったらその人の行動およびお金、人脈などについての考察が出てくるだろうし、出した結果ならば最近の行動の様子がかかれていたり、所属機関およびそこの人間についても触れているはずだからだ)

 人間はその場で取るべき行動や取りたくなった行動を実行しているとする。(そう考えると仕草も取りたくなった行動の一部と言えるだろう)これは考えや欲求無しで人間は行動ができないだろうと僕が考えていることによる。これらの取るべき行動は今までの経験から導き出された行動であるはずだから言ってしまえば行動は全てその人自身を表しているのではなかろうか。つまり本当の君を知りたいならば敢えて何かをする必要はないのだ。答えがモロに出ている。つまりこれは恐らくその人と一緒にいることでその人を統計的に評価したいということではないだろうか。

 しかし、ここで疑問が出てくる。次の「キラキラで目が眩むけど」の解釈だ。あるものを統計的に評価しようと思った時にキラキラで目が眩んだということを僕はあまり聞かない。この場合にキラキラで目が眩むとはどういうことだろうか。よく聞く、キラキラで目が眩む場面は大きく分けると二つある。一つは物理的に目が眩む場合で、もう一つは精神的に目が眩む場合だ。後者は比喩表現である。前者である可能性は歌詞からは読み取れない。常にサーチライトで照らしながら行動しているなどの記述がないからだ。そうすると後者になるがA(この歌詞の主体をAとし、君をBとする)はなぜキラキラで目が眩むのだろうか。目が眩むの意味を調べると以下のサイトが引っ掛かった。

xn--btr560a.jp

 ここでは目が眩むの意味として"意識が飛びそうになるという意味の他、冷静さや正気を失うほど感情が乱されるような場面においても使われる言葉です。"と述べられている。

使用例としては

気付いた時には彼は目がくらむような高さにまで釣り上げられていた。
彼が相続した金額は目玉が飛び出る程…正に目がくらむような金額であった。
彼の行ったあまりにも残虐な行為に彼女は目がくらむ思いであった。
呼吸困難に陥った彼は目がくらみながらも必死に相手にしがみつき続けた。
目の前の美人にすっかり目がくらんでしまった彼は、「ハニートラップに気をつけろ」というアドバイスをすっかり忘れきっていた。

高所恐怖症の彼はあまりの高さに目眩がした。
恐怖の連続に彼女が意識が遠のいていくのを感じた。
彼は提示された法外な年俸に正気を失ってしまったようだ。
冷静さを失った彼は後先考えずに相手に飛びかかった。

などがあり、どちらかというとマイナスの意味として用いられることが多いように感じる。そうするとAはBに対して恐怖心を抱いていると考えることもできる。しかしそれだとキラキラの意味が通らない。

飽きたので続きはまた今度書く。

2018/6/18 の愚痴

  久しぶりに更新している。最近は朝から22時過ぎまで研究室にずっと居るんだけど、こんなんでいいんだろうかという気分になる。

  研究室はコミュニケーションを自分なりに頑張ってなんとか居心地よく過ごせており、研究は何というか中毒性があってずっとやってしまっている。ただ、ひと段落ついた仕事を見る度に毎回「この量は他の人だったら定時上がりで俺の半分くらいの日数で終わっているだろうな」という気持ちになる。圧倒的に速度が遅いと感じる。さらに、自分は計算化学をやってるんだけど、やって当たり前の計算をやって、出てきた結果の考察をして、まとめるという誰にでも出来ることをやっているに過ぎない。そのため、自分で問題設定をして、自分で解決策を考え、妥当な解決策を用いて、結果を出すという身に付けるべき流れが全くついていないと感じる。

  まあ、この流れを身につける方法といえば一つしかなく、それは自分でそういう流れを作って研究をしていくというだけなんだけれど、なんかそれだと中々結果は出ないしなあという感じだ。

  理想論を語らせてもらうと、自分は上の流れでガガガッ!と研究して、結果をザクザクッ!と出して定時にズバババッ!と帰って、実力がモリモリッ!と付いて、後輩にもバリバリッ!と教えてみたいな感じがいいんだけど、まあ実際は遠く離れている。

2018/5/6

 

ゴールデンウィーク中は何か更新したいなと思ったんだけどなんか別に絵を描く気にもならなかったし、何かを分析してまとめる気にもならなかったしそもそも何かを書く気にならなかったので結局最終日を越えてから更新している。

もしかすると僕は精神が不安定になっていないと趣味をやったりブログを書いたりする気が起きないのかもしれない。

なのでこのブログが更新がされたらそういうことですね。(これは何回も言っている気がする)

なにも思いつかないので世間話しましょう世間話。

以下の余白は僕の世間話能力向上トレーニングに充てられます。

そうそう山口メンバーめっちゃ話題ですね。顔の良さとアイドルというステータスをもってしても女子高生と関係を持つのが無理だったというのは男女関係の難しさが現われていると思います。正直どうでもいいです。

そういえば細田守の最新作が今年の夏に公開されますね。

タイトルは未来のミライ

何がうれしいかというと僕は細田作品が三年周期であらわれるという推測をしていたんですけれどもこれがまた当たってしまったということです。自分の才能が恐ろしいですね。(正直近くのシネマで公開予定の看板がなければ完全に忘れていた)

さらにこれはどこかのサイトで言われていたのですが(細田さんがインタビューで言ってたのかな)映画のテーマは大体自分が置かれている状況にそって決められているというもの(例えばサマーウォーズはお嫁さんの実家に挨拶しに行ったとき大家族だったことからインスピレーションを得て、おおかみこどもは子供が生まれたからみたいな感じ)で自分はバケモノの子を友達と見終わったあとドヤ顔でこのことを話し、次の細田作品は2018年で子供の成長に関することや成長した子供についてではみたいなことを述べていたんですけどなんか近そうだからです。当たるといいですね。

あと予告みた感じタイムリープものかつ異世界に行くので面白そうというのがあります。

で、まだ詳しくは出てないんで勝手に妄想をして遊びたいと思います。(遊びかつ妄想かつ深夜なので見当違いでもしょうがない)

まずミライちゃんのタイムリープですが気になる点が二つあります。

一つはそもそもなんで未来から来たのが妹なのかという話です。

兄ではいけなかったのか。

タイムリープは最近の作品では制限が多くあまり気軽に行えるものではありません。(要出典)

なぜその制限を乗り越えて兄のところにあえてタイムリープしてきたのか。

二つ目はなぜ小さい頃の兄なのか。

ある時間にタイムリープするならば大体その時間である理由があります。

例えば時をかける少女ならばその時代にしかない絵を見に来たからです。

そう考えると予告編を見る限り現在主人公である、くんちゃんは妹のことをよく思っていません。

明日早いのでこれくらいにします。

 

とにかく未来のミライ、楽しみですね。