趣味とか呟きとか

趣味ブログ。端的に言うと自己顕示欲の置き場所。絵を上げたり、本の感想書いたり、長い呟きとか。

シークレットシークレット

 Perfumeのシークレットシークレットという曲にはまっているんだけど、最初に出てくる「本当の君を知りたいの」という歌詞が気になった。本当の君とは一体何なのか、これについて考えてみた。

 人間を規定するものはざっくり分けて肩書き、仕草、取った行動、出した結果だと思われる。ここでは行動に焦点を当ててみる。なぜならば歌詞を見る限り、その人の肩書きや出した結果を知りたいという感じではないからだ。(肩書きを知りたかったらその人の行動およびお金、人脈などについての考察が出てくるだろうし、出した結果ならば最近の行動の様子がかかれていたり、所属機関およびそこの人間についても触れているはずだからだ)

 人間はその場で取るべき行動や取りたくなった行動を実行しているとする。(そう考えると仕草も取りたくなった行動の一部と言えるだろう)これは考えや欲求無しで人間は行動ができないだろうと僕が考えていることによる。これらの取るべき行動は今までの経験から導き出された行動であるはずだから言ってしまえば行動は全てその人自身を表しているのではなかろうか。つまり本当の君を知りたいならば敢えて何かをする必要はないのだ。答えがモロに出ている。つまりこれは恐らくその人と一緒にいることでその人を統計的に評価したいということではないだろうか。

 しかし、ここで疑問が出てくる。次の「キラキラで目が眩むけど」の解釈だ。あるものを統計的に評価しようと思った時にキラキラで目が眩んだということを僕はあまり聞かない。この場合にキラキラで目が眩むとはどういうことだろうか。よく聞く、キラキラで目が眩む場面は大きく分けると二つある。一つは物理的に目が眩む場合で、もう一つは精神的に目が眩む場合だ。後者は比喩表現である。前者である可能性は歌詞からは読み取れない。常にサーチライトで照らしながら行動しているなどの記述がないからだ。そうすると後者になるがA(この歌詞の主体をAとし、君をBとする)はなぜキラキラで目が眩むのだろうか。目が眩むの意味を調べると以下のサイトが引っ掛かった。

xn--btr560a.jp

 ここでは目が眩むの意味として"意識が飛びそうになるという意味の他、冷静さや正気を失うほど感情が乱されるような場面においても使われる言葉です。"と述べられている。

使用例としては

気付いた時には彼は目がくらむような高さにまで釣り上げられていた。
彼が相続した金額は目玉が飛び出る程…正に目がくらむような金額であった。
彼の行ったあまりにも残虐な行為に彼女は目がくらむ思いであった。
呼吸困難に陥った彼は目がくらみながらも必死に相手にしがみつき続けた。
目の前の美人にすっかり目がくらんでしまった彼は、「ハニートラップに気をつけろ」というアドバイスをすっかり忘れきっていた。

高所恐怖症の彼はあまりの高さに目眩がした。
恐怖の連続に彼女が意識が遠のいていくのを感じた。
彼は提示された法外な年俸に正気を失ってしまったようだ。
冷静さを失った彼は後先考えずに相手に飛びかかった。

などがあり、どちらかというとマイナスの意味として用いられることが多いように感じる。そうするとAはBに対して恐怖心を抱いていると考えることもできる。しかしそれだとキラキラの意味が通らない。

飽きたので続きはまた今度書く。

2018/6/18 の愚痴

  久しぶりに更新している。最近は朝から22時過ぎまで研究室にずっと居るんだけど、こんなんでいいんだろうかという気分になる。

  研究室はコミュニケーションを自分なりに頑張ってなんとか居心地よく過ごせており、研究は何というか中毒性があってずっとやってしまっている。ただ、ひと段落ついた仕事を見る度に毎回「この量は他の人だったら定時上がりで俺の半分くらいの日数で終わっているだろうな」という気持ちになる。圧倒的に速度が遅いと感じる。さらに、自分は計算化学をやってるんだけど、やって当たり前の計算をやって、出てきた結果の考察をして、まとめるという誰にでも出来ることをやっているに過ぎない。そのため、自分で問題設定をして、自分で解決策を考え、妥当な解決策を用いて、結果を出すという身に付けるべき流れが全くついていないと感じる。

  まあ、この流れを身につける方法といえば一つしかなく、それは自分でそういう流れを作って研究をしていくというだけなんだけれど、なんかそれだと中々結果は出ないしなあという感じだ。

  理想論を語らせてもらうと、自分は上の流れでガガガッ!と研究して、結果をザクザクッ!と出して定時にズバババッ!と帰って、実力がモリモリッ!と付いて、後輩にもバリバリッ!と教えてみたいな感じがいいんだけど、まあ実際は遠く離れている。

2018/5/6

 

ゴールデンウィーク中は何か更新したいなと思ったんだけどなんか別に絵を描く気にもならなかったし、何かを分析してまとめる気にもならなかったしそもそも何かを書く気にならなかったので結局最終日を越えてから更新している。

もしかすると僕は精神が不安定になっていないと趣味をやったりブログを書いたりする気が起きないのかもしれない。

なのでこのブログが更新がされたらそういうことですね。(これは何回も言っている気がする)

なにも思いつかないので世間話しましょう世間話。

以下の余白は僕の世間話能力向上トレーニングに充てられます。

そうそう山口メンバーめっちゃ話題ですね。顔の良さとアイドルというステータスをもってしても女子高生と関係を持つのが無理だったというのは男女関係の難しさが現われていると思います。正直どうでもいいです。

そういえば細田守の最新作が今年の夏に公開されますね。

タイトルは未来のミライ

何がうれしいかというと僕は細田作品が三年周期であらわれるという推測をしていたんですけれどもこれがまた当たってしまったということです。自分の才能が恐ろしいですね。(正直近くのシネマで公開予定の看板がなければ完全に忘れていた)

さらにこれはどこかのサイトで言われていたのですが(細田さんがインタビューで言ってたのかな)映画のテーマは大体自分が置かれている状況にそって決められているというもの(例えばサマーウォーズはお嫁さんの実家に挨拶しに行ったとき大家族だったことからインスピレーションを得て、おおかみこどもは子供が生まれたからみたいな感じ)で自分はバケモノの子を友達と見終わったあとドヤ顔でこのことを話し、次の細田作品は2018年で子供の成長に関することや成長した子供についてではみたいなことを述べていたんですけどなんか近そうだからです。当たるといいですね。

あと予告みた感じタイムリープものかつ異世界に行くので面白そうというのがあります。

で、まだ詳しくは出てないんで勝手に妄想をして遊びたいと思います。(遊びかつ妄想かつ深夜なので見当違いでもしょうがない)

まずミライちゃんのタイムリープですが気になる点が二つあります。

一つはそもそもなんで未来から来たのが妹なのかという話です。

兄ではいけなかったのか。

タイムリープは最近の作品では制限が多くあまり気軽に行えるものではありません。(要出典)

なぜその制限を乗り越えて兄のところにあえてタイムリープしてきたのか。

二つ目はなぜ小さい頃の兄なのか。

ある時間にタイムリープするならば大体その時間である理由があります。

例えば時をかける少女ならばその時代にしかない絵を見に来たからです。

そう考えると予告編を見る限り現在主人公である、くんちゃんは妹のことをよく思っていません。

明日早いのでこれくらいにします。

 

とにかく未来のミライ、楽しみですね。

2018/3/28

ツイッターでこういう話が流れてきた。

libsy.net

全体の大雑把な流れとしては

    • 薄暗い欲望(リョナ、レイプ願望など)を持つのは勝手だがそういうものに興味があるということを自覚していないと

      ふとした時に自分が無自覚なまま加害者の立場に転じる(セカンドレイプをしてしまう)可能性が

       ある。そのため筆者は

      興味を持つからには、その興味のうしろめたさも自分で抱えろ 

       という主張をしている。

 

    • この意見の例として「魔女集会で会いましょう」という創作に対する意見の紹介。その中でも筆者は特に

      自分が持つのはそれを眺めるという欲望だから危険ではないと思っている。

       という意見について注目する。

 

    • これに関する例として最近のツイッターの実録漫画がある。その傾向は

      他人の私生活に投稿者が萌え(≒好奇)を感じ、本人には無断で漫画や文章にし、公衆で共有した

       というもので、筆者はこれに対して

      他人の人生をコンテンツとして消費する。

       という暴力性があると主張している。

    • インターネットにそのような光景を記すということは個人で萌えを感じるだけの状態を逸脱し、公衆に発表することになっている。これはつまり個人の生活が他人の見世物として勝手に切り売りされていることを意味し、筆者はそのさまが極めて不気味で暴力的だと述べている。

 

    • 最後に、どのような欲望を抱いても構わないが

      欲望を抱いている自分の「眼差し」を自覚し、「当事者になること」を忘れないでほしい

       という主張で終わる。

 

という感じだ。(流れの要点をぶっこぬく練習としてまとめてみたけど結構難しかった。うまくまとめられただろうか)

結局ここで何が言いたかったのかといえば、おそらく「どんな欲望でも持つことは構わないが自分がそういう欲望を持っており、それが実際にどんな問題を孕んでいるかを知っておくべきだ」という意見だと思う。

まあ今回自分が書きたかったのはこれよりかは本文の途中で出た「フィクションと現実をわけるべきだ」という意見の方で、その意見を読んだときは「はぁーこれなー」ってなった。

 

自分は今までフィクションの結果が最終的なゴールになると思っていて、つまりフィクションは僕の現実に対するモデリングだと思っていた。それは例えば高校に行けば、大学に行けば彼女はできるだったり、ひたすら頑張っていれば周りも認めてくれて、集団のトップになって彼女もできるだったり、しっかりやっていれば幸せな人生を歩めて彼女ができるだったりする。

だけど最近それはあくまでフィクションでの結果に過ぎないということをようやくおぼろげに自覚し始めた。というか自分足らしめる何かとそこに同化していたそれの区別がようやく少しつくようになった感じだ。

ようやく現実問題に対する見通しが成熟し始めたといったところだろうか。(まあ要はモデルと現実が違う変数で動いていた(違う変数がさらにあったという方が正確だと思うがそれはメモリを食うので考えない)ことがわかり始めた)

 

さっきから何度もようやくという言葉を使っているがこれは今まで長い間見通しが甘い、現実問題に対する姿勢が甘いということをおぼろげに自覚していたにもかかわらず、その姿勢を変えられなかったのだが、これでやっとその姿勢を変えられるきっかけができたのではないかと期待しているからだ。(まあそれに気づくだけではなく、今までの甘い見通しを否定した見通しをしていくことで自分と、同化しているそれとを区別していく必要があるが)

 

とりあえずこれからはそれを意識していこうと思う。

2018/3/26

 ゼミが終わり、自分のイベントが終わり、先輩たちの卒業式が終わり、ようやく春休みに入った。(厳密に言うとまだやることは結構残っているのだが)

 卒業式後、自分の研究室では懇親会が行われた。最初は教授、助教、学生皆で集まり、用意された食べ物を食べ、酒を飲み、歓談し……という流れだ。そして懇親会が後半に差し掛かると教授は別の研究室の懇親会に行き、学生だけになり、教授の話や愚痴大会になった。その中でも自分が特に印象的だった会話は教授の話や愚痴ではなく男女の駆け引きのようなものだった。

 

 そのおおまかな雰囲気だけれど、最初にある男の先輩が女の先輩を馬鹿にする。(どちらも卒業生)(内容は忘れた)

 女「○○が行くとこ、どこだっけ?」

 男「△△。」

 女「じゃあ今度泊まりに行くね」

 男の先輩をしっかりと見つめる。

 男「いや俺のとこ寮だから女が来たら、まあ、騒ぎになるよ」

 女の先輩の話を聞いていたその彼氏「えっ」

 

 非常に大学生かつ大人っぽかった。これが大学生かつ大人っぽい会話かーはぁーなるほどねーって思った。

 こうなんというかそこらへんのこともわかっていて、あえて言いますよみたいな攻め方。超よかった、あこがれる。これはお互いが異性に慣れていないとできないですね。

 このような会話を僕も異性としたかった。いや本当に。というかそういう会話ができるくらい異性に慣れたかったぞ、おらおら。(虚空に向けてジャブを放つ)

 

 

 相も変わらずネットに依存しているんだけれど、ちょっと前にアマゾンプライムに入っていることに気が付いたため、最近はもっぱらプライム特典の映画やアニメ、ドラマを見たり、音楽を聴いている。

 

 以前は映画を見たら割と分析していたんだけど最近は「ショーシャンクの空に」とか「メメント」を見ても、「いやー大変だったけど良かったね」とか「うーん難しくて解説サイト見ないとよくわかんなかった」以上を考えたくない。体力が落ちているんだろうか。(というか映画の途中にツイッターを見始めたりしていて、本当に良くない)

 ドラマは「高い城の男」をパート8くらいまで見た。物語をどのように構成すればいいかということに興味があるので一部の流れを紙に書いてまとめたんだけど、結構勉強になった気がする。

 「高い城の男」は第二次世界大戦の勝者が日本とナチスの世界で、この事実を揺るがしかねない映画のフィルムを軸に様々な立場の人間の物語が展開していくんだけれど、各展開にその人らしさが表現されていて非常に参考になっている。(キャラが立っているというやつなのだろうか)

 

 そのほかについては疲れたので割愛。(今回は一応小説の作法を参考にして文章を書いてみたが合っているだろうか、というかそもそもこういう文章に小説の作法を適用すべきなのか)